

熊谷守一は明治13年(1880)に、初代の岐阜市長を務めた名士の三男として岐阜県恵那郡付知村(現.中津川市)に生まれ、幼少期を生母と離れ岐阜市で過ごしました。岐阜中学在学中に上京し、東京美術学校西洋画科選科を首席で卒業した後は、農商務省の樺太調査隊への参加、母の死に伴う6年間の郷里での山中生活などを経て、二科会を中心に活躍しました。戦後は画壇や俗世間を離れ、明快な輪郭線と平滑な色面による独自の様式を確立して、東京都内の自宅で身の回りの動植物を描き続けました。
今回は、充実したコレクションを誇る愛知県美術館と岐阜県美術館に御協力を賜り、60点を超える絵画・陶芸作品等を展示して、初期から晩年にいたるまでの熊谷守一の芸術の軌跡をたどります。
三重県下での開催は今回が初めてとなる熊谷守一の絵画作品展をどうぞご期待ください。
略歴 | |
1880(明治13)年 | 岐阜県に生まれる |
1904(明治37)年 | 東京美術学校西洋画科選科を首席卒業、在学中に藤島武二、黒田清輝に学ぶ。 |
1909(明治42)年 | 第3回文展に『蠟燭』を出品、褒状を受ける。 |
1916(大正5)年 | 二科会員に推挙される。この後、昭和19年に軍の圧力で二科会が解散するまでほぼ毎年出品。 |
1967(昭和42)年 | 文化勲章授章の内示を辞退する。この後昭和47年にも勲三等叙勲を辞退する。 |
1977(昭和52)年 | 肺炎のため歿。享年97歳。 |
主催 | 公益財団法人岡田文化財団パラミタミュージアム、中日新聞社 |
後援 | NHK津放送局、三重テレビ放送、シー・ティー・ワイ、ケーブルネット鈴鹿 |
協力 | 愛知県美術館、岐阜県美術館 |